スペイン・ハプスブルク家は、近親婚を重ねたことで「断絶」という宿命を迎えた──その理由を最も正確に語るのが、この家系図である。
各人物名をクリックすると、肖像と人物史ページへ移動できる。まずは、断絶へ向かう“血の流れ”を視覚でたどってほしい。
スペイン・ハプスブルク家を貫く「近親婚の宿命」
「純血」を守るという名目で、スペイン・ハプスブルク家では叔父と姪、いとこ同士の婚姻が常態化していた。その結果、家系図全体に「血の濃縮」が進み、遺伝的多様性は急速に失われていく。
代表例が、フェリペ4世とマリアナ(叔父と姪)。彼らの息子カルロス2世は、重度の身体的・精神的障害を抱え、“血統のゆがみ”を象徴する存在となった。
カルロス2世に継承者はおらず、その死は家系図上に大きな空白=断絶点を生む。その空白を奪い合ったのが、
- フランス・ブルボン家
-
オーストリア・ハプスブルク家
こうして「スペイン継承戦争」が勃発する。最終的にブルボン家フェリペ5世が王位を継ぐが、“スペインとフランスの王冠は統合しない”という条項がつくられ、ようやく均衡が成立した。
この戦争こそが、スペイン・ハプスブルク家200年の歴史に幕を下ろす決定的な転換点だった。
まとめ

簡略版 ©︎Habsburg Hyakka.com
スペイン・ハプスブルク家の家系図は、単なる血統の一覧ではない。それは、
- 結婚で帝国を築き
- 血の濃縮で弱体化し
-
断絶によって終焉を迎えた
“帝国の運命そのもの”を映し出す地図である。
カルロス2世の死によって王家は断絶したが、その空白が引き起こした継承争いがヨーロッパの政治地図を塗り替えた。血によって興り、血によって滅びる──この家系図は、その物語を静かに語り続けている。▶︎【スペイン・ハプスブルク最後の王】カルロス2世の病と帝国断絶の真相
📖 関連する物語
・【なぜ“ハプスブルク顎”は生まれたのか?】近親婚がつくった王家最大の悲劇
・【スペイン継承戦争とは】王の死がもたらしたヨーロッパの再編
参考文献
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『図説 ハプスブルク家』河出書房新社
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Brady Jr., Thomas A., German Histories in the Age of Reformations, Cambridge University Press, 2009
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高橋弘道『カール五世――ハプスブルク帝国の栄光』講談社現代新書
- Alvarez, G., et al. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.”
- Archivo General de Simancas(スペイン王室公文書館)
- 名画で読み解くハプスブルク家12の物語 中野京子
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.


